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下の日記にも書いたがトンネルを。。。

刺繍proを始めた時からグラフィックソフトを自由に操りたいと思ってきた。家にあるのは主人のPCにあった『花子』今バージョンは上がっているのだが我が家のは13。どうしてもうまくいかなくて挫折の連続だった。ところがどうもこの2~3日手ごたえを感じる。まだまだできない事に変わりはないのだが。。。質的変化を感じると言ったら大げさだが。手の内に入ってきたような気がするのだ。何年かかったのだろう。

こうして刺繍に関することに多くの時間を割いていると罪悪感に駆られる。しかし私にとってこの世界もはや私の真ん中に位置しているということも確かなのだ。刺繍そのものの技法から始まって絵のことそして外国の記事を読むための英語、なにもかもがそこに繋がって行く。

 実は私は大学でドイツ語学科に入学した。それはたまたま入試の頃ドイツ文学を読んでいたという安易な理由からで何がしたいのかまるで分からないまま入ってしまった。入ったとたん私にもっとも不向きな場所であると知ってどれだけ転科したいと思ったことか。でもそんな勇気もなくわけの分からないまま4年間過ごしてなにも見出せなく当然身に付かずに卒業した。だから今ドイツ語なんて恐ろしいほどチンプンカンプンなのである。ああもったいない。あの4年間の年月と学費、お父さんお母さんごめんなさい~という感じだ。

 その頃思っていたこと。例えば何か研究したいことがあってそのためにドイツ語を学ぶというならば意欲も出よう。あるいはこの文学を研究したいというならそれもわかる。純粋に語学そのものの研究と言う事も納得できる。ドイツ語教師になるための資格を得ると言うのなら意味もある。しかしわたしはどれも欲していなかったしそんな世界を見出せなかった。何のために学ぶのか、何もわからなかった。学ぶことが苦痛だけであった。

 『刺繍すること』これに何の価値があるのかわからない。だからいつも申し訳なさが付きまとう。「ごめんなさい。でもやらずにはいられない」と心の中でつぶやく。聖書に『求めよさらば与えられん』という聖句と『虚しい叫びはきかれない』という聖句がある。私の叫びは虚しい叫びなのだろうか。『むさぼることなかれ』のむさぼりなのかと。でも今、わたしは学びたい。いろいろな事を理解したい。これをなくしたらなんと虚しい毎日かと思う。何のために学び時間を費やすのか。少なくともわたしは大学時代よりずっといろいろな事に貪欲だ。

学生時代は勉強する事に価値が置かれる。しかし今廻りを見回すと職業がきちんとあって一定の収入があることが大切であってその反対なこと、これはちょっと居場所がない気分になってしまう。特に家みたいに裕福でもないごく一般的家庭では。今ごろになって何を勉強だということになってしまうわけで。それは誰に言われるわけでもないのだが。。。もしこれが有名な作家さんだったら研究熱心ということになるんだろうけど。今のわたしは蟻とキリギリスのまさにキリギリスさんなのである。

と、何が言いたいのかちょっとわからなくなってきた。つまり、そういう誰にも認められないし、また自分自身でもいいのかなあという罪悪感をどこかに持ちながらPCやミシンに向かう私としてはこうしてあきらめずにある意味で愚かしいほど繰り返し挑戦していることに出口が見えてくると何かそこに(おおげさではあるが)神様の祝福があるような許されたような気がするのである。(ああなんて長いセンテンス、文章力欠如)これはいつもそうなのだが刺繍がうまくいった時、ミシンキルトが思いがけずいい方向に行った時、心の中でわたしは「ありがとうございます」と呟いている。。。

今日、わたしはやっぱり「ありがとうございます」とつぶやいた。ということが言いたかっただけである。 私いったい何が言いたかったの?長々書いちゃってバカ
by mokomokoruka | 2005-05-26 10:49 | 手作り雑感
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