こういうこともある

9月30日締め切りの東京国際キルトフェスティバル、6月頃より準備してきたが、やはり今年は断念しよう。
 先日陶芸(手芸サークルでお世話になっている)の先生の所へ伺った時は先生から
「とにかく出しなさい」と忠告を受けたしビシちゃんにも頑張れ~と言われているけれど、そして何より私自身があきらめきれないものがあったのだが、でもこれからすべてを捨てて縫い縫いに没頭しても果たして間に合うか非常に微妙なところなのだ。来週は先日亡くなった叔父の納骨式もあるのでその前後やはり地元としてはいろいろ動かなくてはならない。
 そしてこの改築の後始末。。。先日慌てふためいて下ろした物を整理してそれぞれの所へ配置収納しなくてはならない。このままズルズルとしているとそれが今後尾を引きそうだし、ここできちんとやらないと。。。まだ2階は出来上がらないのだけどたぶんあと1週間くらいで完成すると思われるし。
 こんな一生に一度しかないと思われることにおわれる中気ぜわしく作っても自分で納得する所まで作品を練り上げていくのは無理ではないかと思う。
 焦らず付け焼刃でなく時間を掛けていうことが今までの私の作品には欠けていたように思う。だからここで踏みとどまることは、もしかしたら神様のご意志なのではないかと思ったりしている。結果としての撤退ではなくてこれからわたしがこのキルト作りというものに関わっていく生き方の(かなり大袈裟な言い方だけど)第一歩としてここに踏みとどまってじっくり縫うこと(今年は出さないということ)を神様は望んでいらっしゃる様な気がする。
 今年ドームで見ることのできた作品群は手塩に掛けじっくり作ることの素晴らしさを教えてくれた。一つの作品をダッシュで作ることが多いわたしにとって、これはとてもむつかしいことなのだけど、でも図らずもそういう道を選ばなくてはならない今の状況。否応なしの状況に追い込むことでそういう心を養う場に追い込んでいらっしゃるというか。。。
 振り返って見るとわたしはこういうふうにいつも神様から道を示されて来たような気がする。自分の思い通りにならないことが新しい展開に導き違う世界に連れて行ってくれる。
 壁があった方がボールはいろいろな方向に跳ね返っておもしろい。自分の意図するところばかりすんなり進むと自分の範疇を出られないから。イザヤ書にあるよなあ。

 「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なりわたしのみ道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道をわたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人に種を与え食べる人に糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなくしは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。あなたたちは喜び祝いながら出て立ち平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え歓声をあげて喜び歌い野の木々も、手をたたく。茨に代わって糸杉がおどろに代わってミルトスが生える。これは、主に対する記念となり、しるしとなる。それはとこしえに消し去られることがない。」(イザヤ書55:8~13)

 この部分大好きなんだけど自分の思いをはるか超えたものにゆだねてわたしはただこつこつ喜びながら進んでいくうちに知らない世界へ導き出されるような気がする。もちろん全力で走るからこそ壁の存在を知るのだし跳ね返って思いがけない所へも行けるのだけど。そしてそうだからこそ、その道を受け入れることもできるのだけど。
 
 ここで立ち止まることこそ大きな一歩であるような気がする。そしてこの作品を投げるのではなくてずっと持ち続けること。。。一日一枚でもいいからピースを縫うこと。これをやらなかったらこの決断はただの逃避にしかならない。そう言えば春の刺繍コンクールの時も今年は踏みとどまったっけ。今年はそういう年なのかもしれない。そしてあの作品もやっぱり脈々とわたしの中であるしいつか地表に顔を出すことだろう。

 そう、それにこの一生に一度であろう楽しい『魔法の家』作り存分に楽しまなかったらもったいないし。苦しい片付け作業ではあるが気合を入れて頑張りましょう!と決めました。ヽ(^o^)丿
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by mokomokoruka | 2005-09-13 11:39 | 手作り雑感
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