2005年 03月 06日 ( 1 )

鯛の砂糖菓子

ユリウスさんのブログを読んで思い出しがことがある。
それは「鯛の砂糖菓子」のことだ。このお菓子の事を思うとなんだか胸のどこかがキュンと甘く締め付けられる。それは幼い日の甘い思い出。
 
鯛の砂糖菓子ユリウスさんがおっしゃっているお菓子とは違うと思うのだけれど、よく婚礼の引き出物に付いてきた砂糖を固めた硬いお菓子。このお菓子この頃あまり見かけなくなったが昔はよくあった。父が婚礼に招かれてこれを持ってくるとわたしはうれしかった。特に甘いものが好きという子供ではなかったので食べるのが嬉しかったのではない。何が嬉しいってそれを割るその「行事」が嬉しかったのだ。母は包装紙を敷きその上にそれをおもむろに置いてものさしでパンと割るのだ。それは必ずものさしだった。今もあると思うけれど50センチの竹のものさし。
その小気味いい音といつもの母とは違う楽しそうな様子が大好きだった。そして粉々になった一片を口に入れた時の甘い味がなつかしい。

 そしてどうしてか、この思い出はわたしが8歳まで暮らした、たった一間の間借暮らしの生活のあの部屋での光景なのだ。
 父は結婚と同時に歯科医院を開いた。それは普通の民家の一部で診療室のほかに待合室、小さな技巧室、玄関、ほんの小さな台所、そして私たちの暮らす窓のない一間しかなく、お風呂もトイレもなかった。トイレは大家さんのトイレまで長い廊下を通って行った。とても暗く怖いトイレだった。お風呂は親戚の家にもらいに行った。だからとても不便な生活だったはずなのだがわたしにはそこでの生活がとても懐かしい。ちょうど3年生の時に引っ越したから母とべったり暮らした幼児期の期間と重なっているせいなのかもしれないが。
 編物の得意だった母のそばで電車ごっこのように指でトンネルを作ってその中を毛糸がするする動くのがおもしろかったっけ。
治療室の窓の外には庭があった。おもしろいことにこの庭の土地は(結構広くて後ろは畑があったりした)父が買い取ったものらしい。ということは若い父にはそこに建物を建てる経済的な余力がなかったのだろう。この庭でおままごろをしたりしてよく遊んだ。初夏になるとグミの赤い実を味噌漉しにいっぱい採ってきたっけ。
窓のない部屋だったので休日はよく外に出た。ちょっと行くと川があってとても気持ちのよい場所だったからよく家族で歌を歌いながら散歩した。
 だからそれから現在父母の暮らしている家に越してきた時、正直うれしいのになんだか心のどこかでさみしかったものだ。父はそれまで以上に忙しかったし、母も広い家の中でいろいろ家事が増えたのだろう。いつも同じ部屋にいる事は少なくなった。休日も以前より散歩に出かけなくなった。
 
 話が逸れてしまったが、多分例の「鯛のお菓子」は現在の家に来てもあったはずなのだが私の中の記憶では「鯛の砂糖菓子」=小さな部屋=母との甘い思い出、に繋がるのだ。おかしいけれど。。。
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by mokomokoruka | 2005-03-06 09:53 | 雑感