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バラに包まれて

今日は一日、羽根を伸ばして来ました。美術展を二つ観て(印象派展と挿絵画家展)それから今日から始まった「香りのバラ展」へ行って来ました。

想像していた数倍の規模のバラ展でした。香りのバラ展というだけあって香りによって区分けしてあって、あちらこちらでバラに顔を寄せて香りを楽しんでいる人がいっぱい^_^
わたしたちも存分に楽しんで来ました。

さあ、明日からまた頑張るぞ!
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by mokomokoruka | 2015-05-30 20:23

ようやく次の段階へ

なかなか次に進めずに同じことの繰り返しでうんざりしていたがようやく次の段階へ進んだ。
今のところは予定しているスケジュールからそれ程遅れずに来ている。

ここからがまた道を見つけるのは容易ではない。今日、作ったパーツを一応並べてみたがなんとかなるかなあ、大きさ。

規定があるので勝手には作れない。130センチ以上230センチ以内だったかな?よく確かめてみなくては。

明日は部屋を使うので並べたものを回収しなくてはならない。仮に置いただけだからいいけれど。
頑張ろうっと
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by mokomokoruka | 2015-05-23 18:09

再び釜爺状態に

夕方ようやくこれかなってものが見えてきた。
後はひたすら縫うのみ。
3台のミシンを使って縫っている。
最初は刺繍ミシンも加わっていたので4台。
頑張るぞ〜
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by mokomokoruka | 2015-05-15 20:11

地図のない道

地図のない道を足元を確かめながら一歩ずつ歩いていく感じ。ここで妥協して近道を歩いてはいけないと言い聞かせて。どんなに不安でも自分の感覚だけを頼りに問いかけながら進んでいる。
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by mokomokoruka | 2015-05-12 21:04

ずっと一緒

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もうずっと一緒の鳩時計、十代の後半に誕生日プレゼントに父からもらった鳩時計
結婚 して初めて住んだアパートにも上の子供が生まれた頃住んでいた借家にもそして子供が二人になって移って来た古いけど大好きだった隣の家にもいつも一緒だった。
昨年 母が亡くなって、わたしが育ったこの家にみんなで戻って来て鳩時計も早く連れて来なくちゃと思いながらそのままになっていた。

今日、やっと連れてくることができた。
鳩時計は嬉しそうに「ポッポ」と時を告げてくれている。
お帰り 鳩時計
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by mokomokoruka | 2015-05-09 22:46

明確な想いがなくてはならない

ただ、布を繋いで並べるだけではいけない。
私の作るものは計算のない偶然の発見に喜びを感じるものではあるが、最初に目指したただ一点を目指してぶれずに進まなくてはならない。
小手先の遊びではなく、自分の心の中にある感動の瞬間のただ一点を目指して
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by mokomokoruka | 2015-04-22 13:19

今年の桜

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毎年、この季節に必ず見に行く光徳寺の桜の花を今年もみんなで見に行くことができました。今年は水辺の学校を堪能して、お城山をちょっと登ってから行ったのでとても疲れちゃってすぐに帰って来てしまいました。もう一度改めて行きたいな〜

ルカも楽しそうだった。帰って来てお風呂に入れたのでフカフカになった。桜を見てたら小さい男の子が
「毛だらけの犬だー」って大声で言っていた。面白いこと言うなあ。
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水辺の学校でルカに声を掛けてくれた人に話し掛けられた。
「お久しぶりです」って、
思い出せないで尋ねたら母が入院していた時の看護士さんだった。いつも優しくしてくれた人。あの頃のことすっかり忘れてる。それだけ私にとって重い時間だったということなのだろう。
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by mokomokoruka | 2015-04-12 23:02

初モバイル投稿

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やっぱりルカの写真で試そう

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by mokomokoruka | 2015-04-10 00:33

バッグ完成

久しぶりに作ったらなんだか手間取ってしまったけれどようやく完成。
明日姉の所に送ろう。喜んでくれるとよいけれど。
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by mokomokoruka | 2015-03-24 19:04

戻ることに感謝するなんて

別な日記に記しましたがこちらにもコピペしておきます。

ミシンキルトを縫っていました。遡って5月6日の日記(別日記)で

「いつの間にか解決される種類の曖昧さとどんどん雪だるまのように大きくなる曖昧さと二通りがあって今回のはどうも後者のような気がする。どうしたらいいのかなあ。 」

と書きました。それをずっと引きずっていて、それが先日の友達との会話の中で何か糸口が見えたような気がしていました。でもそれからあまりに忙しくて試す時間も取れず今日まで来ました。

そして縫ってみて。。。今感動しています。自分で言うなんておかしいけど、本当に。

作品を作っていて作っているわたしが作品自体に引っ張られていくことがあります。この感覚がわたしはものすごく好きです。作品が私を離れて歩き出すこの感覚。これはめったに味わない感覚なのですが。

今日まさにそれを感じています。もしかしたらこうかなあと思いつつ試したことが自分の意図したことをはるかに超えて歩き出しました。思わず
「まいったね」
とつぶやかずにはいられませんでした。

あの時曖昧さをそのままにして歩みを進めないでよかった。
そして今回試した方法を取るということは実は曖昧なままに進んでいた部分をほどかなくてはなりません。ちょっと大変な手間ではあります。しかし立ち止まっていなかったらもっと傷は深くなっていたと思います。そして今気付いたことをまあいいやでそのままごまかすことももしかしたらできるかもしれないけれど(ままあるのです。ごまかしてそれがかえっていい効果を出すことも。それがいつの間にか解決される曖昧さなのだけど)でも今回のこれは根本部分だから私は敢えて戻ります。多分ほどくのに一日くらい掛かるかもしれないけどそれでもこのままに続けると結局のところこの作品自体を捨てることになると思うので。

あの時曖昧さに気付いて立ち止まってよかった。そして今のこの段階で戻ることを決断させられて本当に良かったと思います。

私はクリスチャンだから思うのかもしれないけど以前日記に書いたけどhttp://mokomokoru.exblog.jp/m2005-09-01/#2693786
真っ直ぐな道をボールが転がっていくより壁にぶつかって跳ね返っていろいろな方向に跳ぶ方がどれだけおもしろいか。
そしてその時にこそわたしの今歩まされているこの道は備えられた道なのだと確信することができるのです。自分勝手に歩いているのではなくておおいなるものに認められて許されて歩いている道なのだと。

曖昧さはその感覚つまり大いなるものとのつながりを確信できなかった時に起こるような気がします。道が見えなくてもそこに壁を感じてもつながりを感じる時わたしは小躍りしながら先に進むことができるのです。

聖書に祝福を与えるという言葉が出てくるけれどそれは決してこの世的に成功するということではないと思います。この許された道を歩んでいるという喜びを与えられることこそ祝福なのだと、神様と繋がっていると実感できるこの瞬間こそが祝福なのだとわたしは思うのです。

その思いで作っているこの作品。それが世間にたとえ評価されなくてもそれでもわたしにとっては大切な作品なのです。感謝。
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by mokomokoruka | 2006-05-12 12:45