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 今朝爪を切っていた時に脈絡なく思い出した感覚。
幼い日に母に爪を切ってもらった時、私の手を取っていた母の手のぬくもり。
もう決して戻れないあの日。まったく不意なる感覚だった。

あれから何十年経ったのだろう。対峙して座る母と私の膝こぞう。

そしてこれから何十年かしてわたしの子供たちは今のわたしのように幼い日のその時を思い出すのだろうか。。。

時間の狭間に急に落ち込んだような過去と未来何十年という時間が一瞬に駆け巡ったようなおかしな感覚だった。
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by mokomokoruka | 2006-03-15 22:33

昨夜、偶然、何年間も探していたある詩を見つけました。
テニスンの樫の木という詩です。この詩そのものは以前すぐに見つけたのですがわたしは7年ほど前に目にした小塩トシ子さん訳が読みたかったのです。

きみの生命を生きよ
 若きも老いも
かなたに立つオークのように
春には輝くばかり
 黄金色の生を。

夏は豊穣
 そしてそれから
秋の変貌
より厳粛な色合いに
ふたたびの黄金色。

葉はすべて
 ついに払い落とされ
見よ、なお樹の立つのを。

幹も枝も
 つよく裸身で。


他の訳で読んでも最初にこの詩に触れた時の感動が忘れられなくてわたしはネットや書店でさがしたのですが見つけられないでいたのです。この小塩さん訳の『樫の木』は子供の幼稚園からいただいてくる「こころの友」という印刷物に書いてあったものでした。
ちょうど父が寝たきりの状態になって数年経った時で、わたしは父の姿にこの詩を重ね合わせて読んだのでした。
 それからしばらく大切にしていたのに何故か見当たらなくなってほんとうに残念で小塩さんの出版物に出会ったりすると注意して見ていました。昨夜他のことでバッポンさんの部屋に行った時偶然あるファイルを手にしましたところなんとそこにあったのです。きっと私のことだからどこかに置き忘れたのをバッポンさんが気を利かせて綴じておいてくれたのでしょう。(一言言ってくれたらもっとよかったのに)とにかくおかげで私は再びこの詩に出会うことができました。
 
 ちょうど先日何気なくつけていたTVから流れてきたナレーションに心打たれたのですがそれも樹についてでした。ほんの一部をそれも隣の部屋で聞いていたので何の番組であったのかも分かりません。「巨木」についての話のようでした。
 秋になって葉を落とすということは冬に負けないための大切な仕事なのだそうです。そしてその作業にはたいへんなエネルギーが必要なのだということです。葉に行く養分を断ち切って敢えて葉を落とす準備をするのだそうですがそれをするのに年を取りすぎている樹はなかなかそれがうまくいかないことがあって、その結果雪が降る前に完了することができずに冬を迎え枝を折ってしまうこともあるのだそうです。なにか心打たれることでした。葉を落とすということが時間の経過からくる運命的なものではなく、つまり若い盛りを過ぎたものがその成れの果てとしての状態ではなくて次の命を繋ぐために自らの意思でそれもたいへんな努力をはらって養分を断ち切るということ積極的な行為であるということ。これってすごいことだと思いました。そしてさらに年を取りついに折れてしまった枝からさらに次の世代の若い芽が出るという樹木の生命力わたしは励まされる思いで聴きました。

偶然かもしれませんがわたしはこの『樹』にまつわる再会と出会いにとても感謝しています。
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by mokomokoruka | 2006-03-07 09:50

散歩

本当に今年の3月は素敵。
昨日は家族で川にルカの散歩に行って来た。
町は人形さま巡りで人が溢れている。なんだか違う町のようだ。お天気が良かったのでなおさら人の出足が良いようだ。そんな町を横切って川に行くと広い河川敷の遠くに犬と遊ぶ人の姿があちらこちらに。
そして水辺の鳥たちもいつもより数が多いような気がした。
ルカも時折空に飛ぶ鳥を見上げたりしている。

3月の川辺は本当に美しい。遠くに見える鷲ヶ巣山もことの外美しかった。あそこから流れてくる川の水も雪融けでいつもより水量が多い。ゆったり流れる川を見ているとこちらの心ものびやかになってくるようだった。
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by mokomokoruka | 2006-03-06 09:05

大好きな3月

一年中で一番好きかもしれない。でもいつも気が付くと飛び去っていってしまったと言うことになっちゃう3月。
今日はまだ2日。だいじょうぶ、たっぷりあるぞ。今年こそ3月をいっぱい味わおう。
今はまだグレーの世界だけどもう少しするとカタクリの薄紫の可愛い花やレンギョウの目のさめるような黄色が見れる。本当に楽しみ。

 今日はどこにも出かける予定はないのでじっくりとミシンに向かえる。その合間に早春を書いた文章をアンの中に探してみようかな。c0030505_10481644.jpg
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by mokomokoruka | 2006-03-02 10:49

陽の光

今日は久しぶりのお日様の光。天窓から射しこんでくる。この穏やかな光を見ているとそれだけで心が明るくなる。陽の光をいっぱいに浴びている人たちが陽気であるのがよく分かるような気がする。

 明るい春まであと少し。
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by mokomokoruka | 2006-02-19 13:24

平等ってどういうこと?

この頃思うこと。
人は誰でも平等に幸せでありたいと思う権利があります。
平等に暮らしやすい生活を望む権利があります。
でも人が生きていくうえで平等に同じ条件が与えられているわけではありません。
暮らしやすい環境に生きている人もいればそうでない人もいる。雪の多い所少ない所。
台風の来るところ来ないところ。
体の丈夫な人もいれば弱い人もいる。
でも誰でも幸せを望み明るい生活を望みそのギャップを埋めるために近代国家言うものがあるのだと思う。全ての人に平等にお金をくばるのではない。足りない人には多くを与え足りている人には少しを与える。それでみんな平等に夢見ることができるようにするのが本当の平等だと思う。

強いもの恵まれている人間が弱い人に向かって弱いのが現実なんだから夢見てはいけないなどというセリフを言ってはなりません。貧しい人に向かって分相応に生きろなどと言ってはなりません。

なんだかこの頃の政治ちょっとおかしいような気がします。

平等とは表面的な問題じゃない。平等に夢見る権利を保障するのが国家の役割だと思う。
民間であれば利益ということが最優先されるでしょう。でもたとえそこに非常な不利益があったとしても弱い人がだれでも夢見ることが出来るようにするために効率が悪くてもそこに努力することが国家なのではないでしょうか。都会は数分置きに電車が来る。こちらは一電車遅れれば一時間電車がない。雪で電車が来なければ学校に行きたくても行けない。
でも都会の子と同じに学校へ行きたいとう希望は平等にもっているわけなんです。乗車率が悪いと言って廃止される路線がある。確かに効率の悪い話かもしれない。でも夢みる平等を取り去ることは決してしてはならない。社会が熟成するということがもし効率だけを優先する社会になるということならわたしはおかしいと思うのです。なんかへん。。。なんかヘンと思うこのごろです。
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by mokomokoruka | 2006-02-09 23:58

雪の上の足跡

とてもおかしな感覚だと思うのだけど。
大抵の場合ルカとの散歩は同じ道を戻ることはしない。でも今日はなんとなく同じ道を通って戻って来た。いつもと違うコースを歩いたため市場の開催日で別な道を通れないことに気が付いたからだ。
 雪道を見るとさっき来た時付けた足跡がそのまま残っている。なんだか胸がキュンとしてしまった。どういう感覚なのかなあ。時が過ぎ去った。流れたというすごく生な感覚。この足跡を付けた時にはまだ見なかった時間を過ごしたという感覚。別にそれから後の時間嫌なことがあったわけではないのだけど。

 昔子供を流産した後、まるで時の狭間に落ち込んだような感覚にとらわれた。時計の針が次の一秒へ移るまでのその間隙が怖かった。ちょっと病的な感覚だったと今にして思うけど。

何にしろわたしは時というものにちょっと敏感な人間なのかもしれない。幼い日に見た夢もそんな夢が多かったような気がする。
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by mokomokoruka | 2006-02-07 14:48

出会い

あるサイトで知り合った青年がそのお友達と二人で訪ねてきてくれた。お休みが一日取れたからと言ってこの雪の多い時期に。旅行に出たのはメールで知っていたけどこちらに来てくれるなんてとても信じられなかった。雪になど慣れていないはずだからどうなることかと思って待っていた。家の近くまで来たら電話をくれるということだったけど電話がなかなか来ない。心配して待っていたら電話が鳴った。「今家の前です」って。
 うれしくて、うれしくて飛び出した。そこに待っていたのは想像どおりの若い男の子とそのお友達。遠いところを夜通し走って来ただろうに元気いっぱい。まず屋根の雪を写真に撮ったり、バッポンさんが作った「塩引き」の顔を撮ったりしている。
 とても礼儀正しくて、びっくりした。でもへんな遠慮もしないしネットで話をしていたそのままの人がいた。そう言えばネット友達で会ったことのある人ってこれで二人目。一人目はウルトラマン、どちらも男の人だなあ。結局のところ男の人の方が行動力があるということかな。
 それから刺繍談義に花が咲いていっぱい共感しあえた。お友達もとっても優しい人。二人ともきちんと目を見て話しのできる人たちだった。本人たちにも思わず言っちゃったけど若い人って異星人みたいな気がしていたけどちゃんと言葉が通じました(笑)ある意味で同年輩のある種の人たちよりずっと。
 その内にノンも帰って来てすぐにお友達になったみたい。すごくうれしそうだった。家にいたのはほんの3時間にも満たない時間だった。泊まっていってほしかったのだけど明日から仕事だと言う。最後にバッポンさん作の塩引きと焚きたての新潟米そして当地特産のお茶でお茶漬けを食べてもらった。後はやはりこちらの特産の饅頭麩のおみそしる。それしかないのに喜んで食べてくれた。こんなものでご飯食べていきなさいと言うわたしもわたしだけど、そういうことを言って失礼だと思わせない楽しさが彼らにはあった。
 季節のいい時にまた必ず来てくれる事を約束して彼らは帰って行った。来た時と同じように外で雪遊びをしながら。隣の町から来たような気軽さだった。
 一生懸命作って持って帰った雪ウサギ、保冷庫の中で無事だったかなあ。
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by mokomokoruka | 2006-01-25 20:03

今回頭にきたこと。。。

本当に昨日まではいい子達だわ~っていい気分だったんだけど。
もうあきれて何もいえない。

なまず姫、泥に埋もれて寝てばかりいるからボケてしまって、そもそも昨日が始業式だってことつい数日前の私との会話で初めて知ったわけで当然宿題は間に合わず(何しろ膨大な量だから)到達度テスト(高校受験がないから)も13日だって言ってたのが今日なんだって。昨日学校で友達と話してて初めて知りましたそうで。。。何も言えません。ま、実力で受けて落ち込んでくださいな。は~。。。あきれた。頭にくるのは本人がちっとも堪えてないこと
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by mokomokoruka | 2006-01-11 13:43

今回の発表会でうれしかったこと

発表会の前日ノンが練習しながらどうもうまくいかなくなったらしく、ブツブツ言っていた。彼女にしてはめずらしくよく練習していたのだけどやはり緊張しているのかさっきまで弾けたのに急に弾けなくなったようだった。するとメグが
「ノンちゃん、弾く時にね。どんな音出したいかなあって思いながら弾くといいよ」と例ののんびりした口調で言っている。
それを聴きながらいつの間か育っていたんだなあと妙にうれしかった。長いこと習ってきていつピアノに燃えてくれるかと思っても『なまず姫』の名に恥じないどんよりとした感じでいるわが子をため息と共に見ていた。しかしやはりビシちゃんに預けて大正解だったのだ。ビシちゃんの普通では考えられないようなおおらかな指導によっていつの間にかメグの体にはそういった感覚が育っていたらしい。確かに同じ年齢の子供に較べたら弾いている曲は簡単かもしれない。でもメグは出したい音が見つけられたのだと思ったら本当にうれしかった。わたしが出来なかった楽譜を音の羅列ではなくて作品として捉えることができている。
 
 そしてノンも今まで彼女は努力してもそれが結果として現れてこない子だったので今回もこんなに努力したのに本番はどうなんだろうと本当に心配していたのだけれど、弾き終わった後の彼女の顔はとても満足そうだった。「思い通り弾けた?」って終わってから訊くとうれしそうに「うん」と笑った。どれほどか自信になったことだろう。

 煩悩の母はすぐよそのお子さんと較べてしまう。でも今回見せてくれた二人の姿はそんなちっぽけな愚かな母の思いを吹き消すほどさわやかなものであった。

今日は親ばか丸出しの日記でごめんなさい
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by mokomokoruka | 2006-01-10 20:52