迫りくるもの

渇望するもの。迫りくるもの。
砂嵐のように舞い上がり目を明けていることさえできない。。。
心。。。


転じて見上げれば、一点の雲さえない久しぶりの青空。。。抜ける感覚。呼吸する。
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# by mokomokoruka | 2006-02-14 09:27 | 雑感

平等ってどういうこと?

この頃思うこと。
人は誰でも平等に幸せでありたいと思う権利があります。
平等に暮らしやすい生活を望む権利があります。
でも人が生きていくうえで平等に同じ条件が与えられているわけではありません。
暮らしやすい環境に生きている人もいればそうでない人もいる。雪の多い所少ない所。
台風の来るところ来ないところ。
体の丈夫な人もいれば弱い人もいる。
でも誰でも幸せを望み明るい生活を望みそのギャップを埋めるために近代国家言うものがあるのだと思う。全ての人に平等にお金をくばるのではない。足りない人には多くを与え足りている人には少しを与える。それでみんな平等に夢見ることができるようにするのが本当の平等だと思う。

強いもの恵まれている人間が弱い人に向かって弱いのが現実なんだから夢見てはいけないなどというセリフを言ってはなりません。貧しい人に向かって分相応に生きろなどと言ってはなりません。

なんだかこの頃の政治ちょっとおかしいような気がします。

平等とは表面的な問題じゃない。平等に夢見る権利を保障するのが国家の役割だと思う。
民間であれば利益ということが最優先されるでしょう。でもたとえそこに非常な不利益があったとしても弱い人がだれでも夢見ることが出来るようにするために効率が悪くてもそこに努力することが国家なのではないでしょうか。都会は数分置きに電車が来る。こちらは一電車遅れれば一時間電車がない。雪で電車が来なければ学校に行きたくても行けない。
でも都会の子と同じに学校へ行きたいとう希望は平等にもっているわけなんです。乗車率が悪いと言って廃止される路線がある。確かに効率の悪い話かもしれない。でも夢みる平等を取り去ることは決してしてはならない。社会が熟成するということがもし効率だけを優先する社会になるということならわたしはおかしいと思うのです。なんかへん。。。なんかヘンと思うこのごろです。
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# by mokomokoruka | 2006-02-09 23:58

雪の上の足跡

とてもおかしな感覚だと思うのだけど。
大抵の場合ルカとの散歩は同じ道を戻ることはしない。でも今日はなんとなく同じ道を通って戻って来た。いつもと違うコースを歩いたため市場の開催日で別な道を通れないことに気が付いたからだ。
 雪道を見るとさっき来た時付けた足跡がそのまま残っている。なんだか胸がキュンとしてしまった。どういう感覚なのかなあ。時が過ぎ去った。流れたというすごく生な感覚。この足跡を付けた時にはまだ見なかった時間を過ごしたという感覚。別にそれから後の時間嫌なことがあったわけではないのだけど。

 昔子供を流産した後、まるで時の狭間に落ち込んだような感覚にとらわれた。時計の針が次の一秒へ移るまでのその間隙が怖かった。ちょっと病的な感覚だったと今にして思うけど。

何にしろわたしは時というものにちょっと敏感な人間なのかもしれない。幼い日に見た夢もそんな夢が多かったような気がする。
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# by mokomokoruka | 2006-02-07 14:48

出会い

あるサイトで知り合った青年がそのお友達と二人で訪ねてきてくれた。お休みが一日取れたからと言ってこの雪の多い時期に。旅行に出たのはメールで知っていたけどこちらに来てくれるなんてとても信じられなかった。雪になど慣れていないはずだからどうなることかと思って待っていた。家の近くまで来たら電話をくれるということだったけど電話がなかなか来ない。心配して待っていたら電話が鳴った。「今家の前です」って。
 うれしくて、うれしくて飛び出した。そこに待っていたのは想像どおりの若い男の子とそのお友達。遠いところを夜通し走って来ただろうに元気いっぱい。まず屋根の雪を写真に撮ったり、バッポンさんが作った「塩引き」の顔を撮ったりしている。
 とても礼儀正しくて、びっくりした。でもへんな遠慮もしないしネットで話をしていたそのままの人がいた。そう言えばネット友達で会ったことのある人ってこれで二人目。一人目はウルトラマン、どちらも男の人だなあ。結局のところ男の人の方が行動力があるということかな。
 それから刺繍談義に花が咲いていっぱい共感しあえた。お友達もとっても優しい人。二人ともきちんと目を見て話しのできる人たちだった。本人たちにも思わず言っちゃったけど若い人って異星人みたいな気がしていたけどちゃんと言葉が通じました(笑)ある意味で同年輩のある種の人たちよりずっと。
 その内にノンも帰って来てすぐにお友達になったみたい。すごくうれしそうだった。家にいたのはほんの3時間にも満たない時間だった。泊まっていってほしかったのだけど明日から仕事だと言う。最後にバッポンさん作の塩引きと焚きたての新潟米そして当地特産のお茶でお茶漬けを食べてもらった。後はやはりこちらの特産の饅頭麩のおみそしる。それしかないのに喜んで食べてくれた。こんなものでご飯食べていきなさいと言うわたしもわたしだけど、そういうことを言って失礼だと思わせない楽しさが彼らにはあった。
 季節のいい時にまた必ず来てくれる事を約束して彼らは帰って行った。来た時と同じように外で雪遊びをしながら。隣の町から来たような気軽さだった。
 一生懸命作って持って帰った雪ウサギ、保冷庫の中で無事だったかなあ。
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# by mokomokoruka | 2006-01-25 20:03

今回頭にきたこと。。。

本当に昨日まではいい子達だわ~っていい気分だったんだけど。
もうあきれて何もいえない。

なまず姫、泥に埋もれて寝てばかりいるからボケてしまって、そもそも昨日が始業式だってことつい数日前の私との会話で初めて知ったわけで当然宿題は間に合わず(何しろ膨大な量だから)到達度テスト(高校受験がないから)も13日だって言ってたのが今日なんだって。昨日学校で友達と話してて初めて知りましたそうで。。。何も言えません。ま、実力で受けて落ち込んでくださいな。は~。。。あきれた。頭にくるのは本人がちっとも堪えてないこと
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# by mokomokoruka | 2006-01-11 13:43

今回の発表会でうれしかったこと

発表会の前日ノンが練習しながらどうもうまくいかなくなったらしく、ブツブツ言っていた。彼女にしてはめずらしくよく練習していたのだけどやはり緊張しているのかさっきまで弾けたのに急に弾けなくなったようだった。するとメグが
「ノンちゃん、弾く時にね。どんな音出したいかなあって思いながら弾くといいよ」と例ののんびりした口調で言っている。
それを聴きながらいつの間か育っていたんだなあと妙にうれしかった。長いこと習ってきていつピアノに燃えてくれるかと思っても『なまず姫』の名に恥じないどんよりとした感じでいるわが子をため息と共に見ていた。しかしやはりビシちゃんに預けて大正解だったのだ。ビシちゃんの普通では考えられないようなおおらかな指導によっていつの間にかメグの体にはそういった感覚が育っていたらしい。確かに同じ年齢の子供に較べたら弾いている曲は簡単かもしれない。でもメグは出したい音が見つけられたのだと思ったら本当にうれしかった。わたしが出来なかった楽譜を音の羅列ではなくて作品として捉えることができている。
 
 そしてノンも今まで彼女は努力してもそれが結果として現れてこない子だったので今回もこんなに努力したのに本番はどうなんだろうと本当に心配していたのだけれど、弾き終わった後の彼女の顔はとても満足そうだった。「思い通り弾けた?」って終わってから訊くとうれしそうに「うん」と笑った。どれほどか自信になったことだろう。

 煩悩の母はすぐよそのお子さんと較べてしまう。でも今回見せてくれた二人の姿はそんなちっぽけな愚かな母の思いを吹き消すほどさわやかなものであった。

今日は親ばか丸出しの日記でごめんなさい
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# by mokomokoruka | 2006-01-10 20:52

今日はピアノの発表会

今日は子供たちのピアノの発表会。雪の中アットホームな楽しい発表会だった。
今回の発表会を聴いてつくづく思ったこと。ピアノという世界に子供時代に触れてそれを一つの表現として身に付けるってとても幸せなことだということ。ある曲をきちんとイメージできた子供の演奏はそれがどんなに簡単な曲であっても聴くものの心を打つ。
イメージすること、曲を通して自分自身の言いたいことをはっきりイメージできること。これはたいへんなことだ。同じ楽譜を弾くのだけどまさに十人十色。言いたいことを見つけるまでがたいへんなのだろう。それは曲を弾きこんでいって初めて見えてくるのかもしれない。

 今日卒業演奏を行った高校生のお姉さん。とても素敵だった。ピアノがいとおしくてならないという感じが伝わってきた。家の子供たちもそうなるといいな。

今回の発表会はそれぞれに満足感があったのではないかなと思う。これをきっかけにピアノの世界にどっぷり浸かってくれるといいな。わたしができなかったこと。。。
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# by mokomokoruka | 2006-01-08 20:08

継承

 この頃思うこと。 
わたしたちが今生活を築き上げているこの社会全てがある意味で先人たちのこの労力の上に成り立っている。極端なことを言えば火を熾すことからして。。。
 「いいとこ盗り」になってはいけない。先人たちが作ってくれたものに対して「歴史を繋ぐ」というスタンスに立ってその技術や方法を使っていかなくてはならないと思う。
 謙虚になるということは外から躾けられたり強制されてなるものではない。あることに真剣にぶつかって関わる時求める時、自ずから生まれてくる感情だ。歴史を繋ぐという位置に今あることに対しての感謝と願い。伝統ということ。以前アリエスさんhttp://atelieraries.blog1.fc2.com/blog-entry-102.html#moreのところでこのことについて何度かやり取りしたのだけど伝統の継承ということはとても大切なことだと思う。技術の進歩ということはインスタントな部分を受け継ぐことではない。もっと奥深い果てしないものであると思う。。
 なんかすごく大仰なことを書いているようだけど。どんな小さな家庭生活においてもこのことはあるわけで。ビシちゃんによく言われるのだけど、わたしが母からよく食べさせてもらったものでわたしが子供たちに食べさせていないものって結構ある。そうするとそこで食の継承が途絶えるんだって。本当にそうだと思う。これって小さいことのようで大きなことかもしれない。
 
 この頃すごく不思議な人とネットのお友達になってすごくうれしいのだけど。
若い彼もまた伝統の継承者かもしれないなあ。頑張れ健蔵君!

 何だか書きはじめとすっかり違う方向へ行ってしまった~
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# by mokomokoruka | 2006-01-07 12:15

むつかしい。。。

幼い時から両親に「自分のことをひれかすな」と言われていた。聖書にも右の手で成す事を左の手に報せるな。というようなことが書いてあるし。

たった今あちらこちらの掲示板に今日HPにアップした刺繍のことを書いてきたのだけどこれってやっぱり「ひれかし」なのであろうか。
こういう技法っておもしろいからみなさんにちょっとお伝えしたいなあって思ったのだけど。なんだか気恥ずかしい気分になってしまった。

そもそもHPっていいえ、自分を表現することそのものがまかり間違うと「ひれかし」になってしまう。その紙一重の境っていったいなんなのだろうか。。。むつかしいな。
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# by mokomokoruka | 2006-01-05 02:08

冬の日本海

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あけましておめでとうございます。
今年ももう3日が終わろうとしています。早いものです。
今年はどんな一年になるのでしょう。例年になく厳しい冬になりましたが、それでも年が明けると気持ちの上では春遠からじと思うのが不思議です。

今日、海の近くのお家へお年賀に行きました。ものすごい強風で運転している主人も怖いと言うほどでした。そのお宅の屋根が数日前一部飛ばされて壊れたそうです。
海は遠くから白波が立っていました。でもちょっと日差しもあってそこだけ異様に明るく照らされています。冬の日本海、一度は見る価値があります。中学生の頃友達と二人冬の海を見に行きました。そしてその圧倒的な迫力に言葉もなく二人で佇んだ記憶があります。一刻も早くその場を逃げ出したいような、反対に見続けていなければいけないような極限的な思いに駆られました。帰り道なんだかバスに乗る気にもなれず彼女と二人遠い道を雪を踏みしめながら歩いて帰って来たのでした。あれから信じられない程長い年月が経ちましたがその時の感覚が今日ちょっと車の中から見た日本海の荒海に呼び起こされました。
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# by mokomokoruka | 2006-01-04 00:12